会社を辞めた理由 第一章

PROFILEにも掲載していますが、私は11月末に約7年間務めてきた会社を退職して、12月から世界一周に旅立ちます。

今回は、なぜ会社を辞めるという決断に至ったのかについて書き綴りたいと思います。

現状を変えたいけど、どう一歩踏み出したらよいかわからない社会人の方、社会人になる前の学生の方にぜひ読んでいただきたいです。

 

第一章 就職~中国駐在

2008年9月15日、世界中に激震が走る。
米証券最大手のリーマンブラザーズが破綻し、未曽有の金融危機が起きた。

日経平均は大暴落、不況時代に突入していった。
大量リストラ、業績ダウンの文字が連日新聞に踊る。

就職氷河期の始まり。

リーマンショックが起きた1か月後に当時大学三年生の私は就職活動をスタートさせた。
幼少期から漠然と海外で働きたいという夢を抱いていた。

大学生の時にカナダのバンクーバーに留学してその想いを強くした。

将来はとにかく海外で活躍する人間になりたかった。

 

「海外に駐在できて、グローバルに活躍できる会社に入りたい。」

 

これを自分軸として企業を探していった。

 

次第に自分の仕事のアウトプットがわかりやすいメーカーに興味を持ち始め、第一志望の企業から内定をもらうことができ、就職活動に幕を閉じた。

 

「海外部門に配属されて、出張して、駐在して、30歳ぐらいで結婚して、それなりの給料をもらって、安定した生活を過ごす。」

今振り返ると恥ずかしくなるようなざっくりとした人生像を掲げて、2010年に入社した。

 

最初は、東アジア・中国市場を担当する営業企画部門に配属。

ストレスもなく、自由奔放にしていた大学生の頃とは違い、何もできない一年生からのスタート、サル山の最下層からのスタートは思いのほか苦しかった。

そんな中、一年目からプロジェクトを任された。

父親に近い年齢の開発者達から怒られる。

知識薄、経験薄過ぎて、なぜ怒られているのかさへもわからない。

もっとスムーズに仕事が回せると自信を持っていたのにうまくいかない自分へのいら立ち。

 

それでも必死にくらいついて、部門では当時異例だった「一年目の出張」を3度もさせて頂き、自分が思い描いていた海外出張が実現できたことには満足していた。

 

任されたプロジェクトに2年目も丸々費やし、気づけば3年目となっていた。

 

プロジェクトが終わりを告げた3年目の夏に北京への短期駐在が決まる。

 

中国語経験ゼロからのスタートだったが、語学大学に通いながら中国超大手企業にデスクをもらい、働く日々は刺激的だった。

また、ちょうど反日デモが激化していた2008年、まさにその時に現地で暮らしていたので、自分が日本人であることを強く意識した。

タクシーの乗車拒否にもあった。

エレベーターで日本から電話がかかってきても日本人であることがばれると何をされるかわからないという警戒心から電話が取れなかった。

デモ隊には絶対出会わないように注意した。

 

中国語習得だけでなく、中国の商習慣、文化、そして日中関係についてもたくさんのことを学ぶことができた。

 

そして、帰国。

 

帰任後から苦悩の日々が始まった。

 

 

第二章に続く。

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